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なぜ憎まれるとどこかほっとするのか 

なぜ憎まれるとどこかほっとするのか
について自分なりに考えてみました。


憎まれることは「普通」に考えたら
嫌なことですよね^^;


でもなんで今の自分はホッとする時が
あるのか?


行き違いで憎まれることでなく、
自分でわざと非になるようにお膳立てして
でのことです。


自分に明確なミスや過失、落ち度で
憎まれるとどこか安心しているんです。


嫌なのにも関わらずです。


あ、憎まれると安心すると書いてあるから
といって、何の脈絡のない誹謗・中傷、言い掛かり
はなしですよ^^;


さかのぼるとそれは、小学校1年生の
ときの決断であったように思えます。

上履きがなくなったんですね。


どこでなくしたのか、忘れたのか、

よく覚えてなかったです。
だけどそれが母に言えなかったのか、
覚えてないなんて答えが認められ
なかったかしたのか、学校に
忘れたと答えたみたいです。


それでどんどんこじれて見つからない
ってなって・・・


「どこなのよ!言いなさい!」
って感じで怖くて追いつめられて
何か答えるしかない状態でした。


わからないのに、何か答えるしかない
から、正解がでるはずがない。


上履きについては結局・・・
当時マンションに住んでいて、
下の階で見つかったそうです。


その後、外の人には笑顔で
接していた母が急に切り替わって
すごい剣幕で、よそ様に迷惑を
かけたと、


すごい怖い雰囲気で、なんで嘘をついた
のかを徹底的に問い詰めてきて、
泣いても逃げようとしても許してくれなくて、


とにかく「嘘つき!嘘つき!」と
責められました。


昼から、夕方まで。
ものすごい責められていたのに
父親は何も関与せずです。


何をしたのかも覚えていない、
よくわかっていないのに、家で
徹底的にとっちめられて、
しまいには家を追い出されました。


この時のことが、嘘をつくつかない
に対してまだ整理されない思いが
あるし、妙に自分を責めてしまう
自分がいます。


6歳の自分にそこまでの記憶や
なんでそんなことをしたのか、
わからなくてもしょうがないと
今は思えます。


率直に自分の思ったことを
行ったら、「悪かったわね」
とか「大きなお世話だよ」と
怒られることがしばしば。


何か親切しようとか、良いことをしよう
と思った気持ちで働きかけようとしたら、
怒られる。


子どもながらに混乱しました。


何か正解のある答えを言わないと
いけないのかと。


学校でも、

ただの行き違いとか、思っても
いない解釈をされて勝手に悪者に
されて、暴力をふるってもいいよう
にされる。


すごい理不尽だ。


それならまだ、実際に悪いことをして
罰を受けた方がまだ納得できるや
って。


実際に悪いことをしたときにそのとおり
怒られる。


それが、やったこととその起こる結果
に筋が通っていて納得ができる。
そう思ったのだと思います。


実際に罪を犯せば、冤罪に苦しむことは
ないと、子どもながらに感じたんでしょうね。



例え怒られず無視されたとしても、
それはそれでエネルギーを
消費せずに楽に傷つくことなく
生きられると。


小さいほんの子どものときの自分を
考えたら、それは理にかなった
賢い適応なのかなと思います。


今はそれが足を引っ張るし、
傷がうずきます><


行き違いがない、筋が通ること。
それを目指したらその当時は
ゲームを仕掛けるっていう方法に
行き着いたんだなと思います。



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交流分析とACの知識による癒しと勇気づけ:人生の再出発>>なぜ憎まれるとどこかほっとするのか

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