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人の群れに入れない 

人の群れに入れない
ということについて。


スパっと言うとこういう
ことなのかなと思いました。


生きづらいとか、怖いとか
なんともいえない辛さに
ついて言うと。


人に生まれて、人と生活しながら
人に懐くことができなかった。



よく、動物園のドキュメンタリーで
猿やチンパンジーの子が母親の育児
放棄に遭って、人が育てても、
群れに入るのはなかなか難しい
って話がありますよね。


というかあったと思います。


初めから隔離されていて、群れのルールが
わからない。わからないことに起因するミスで
責められますます恐怖感を覚え孤立するという
悪循環。


ルールがある程度わかっていたと
しても、慣れては傷つけられを繰り返したり
していたら、

動物だけでなく、人間もスレます。


スレた状態で、「まず自分から与えなきゃ」と
言われても、罠に思えて仕方のない話です。



スレてもそれでも人と関わらなければ、
小さい頃は特に、死んでしまう。

辛い環境においても食べて育つという
ことを引き出すには・・・

それが適応行動ですね。

本当の自分は隠して、家族が気に入る
行動をとる。


スレる、懐けなくなるということでは、

いじめに遭った、プラス親に学校でいじめられた
ことで相談したり頼れないというのが、
人間不信と対人恐怖の要因として強力なコンボ
という本もありましたし、僕もかなり共感しています。


交流分析的には、

信じるな+属するな+近づくな+重要であるな
などなど複数の禁止令とトラウマが強く与えられた
ということでしょう。


家族の機能としては、家が安全な場所に
なっていないということですね。


家、そして学校という少年期の
生活のほとんどで辛い目にあって
構築される世界観。


気を許したと思ったら突然本性を表わして
切り替わって襲ってくるんじゃないかという
恐怖感。


そんな基礎が心にできていたら、はたして
人の群れに、社会に参加したいと思うだろうか?

何をされるかわかったものじゃない。

常に緊張していないといけなくなる。

緊張していないと安心感が湧いてこない
というジレンマもあるんですね><


そこでよく登場する、

「甘えるな」なんて言葉は、さらに追い打ちをかけて、
それなのに無理やり自分たちを
奉公させる口実にしか聞こえないわけですね。


正論が間違っているということを言っている
わけでなく、

甘えれなかった人にばかり伝わり、本当に
恵まれていた人に注意を促すという意味で
伝わってない場合の方が多いような気がします。


気に病んでいるときに多く、耳に入りやすいのと
言いやすそうな、反撃してこなさそうな人に
ばかり浴びるようにメッセージがいってしまう
ようなことが実際に効果をなしていないという点でも
嫌だなと思います。


子どものときに、家も学校も、周りの自分と同じ
子どもも、教師も、特に親でさえ敵意に満ちた
ものであったら・・・



そこで大部分、普通の人から見たら
歪んだ世界観が脳に染み込んでしまって
います。


大人になってようやく助けを求める
声が出せるかどうかのときに「甘えるな」
と突き放すことになりかねません。


生活の中で身についた世界観は
なかなか手強いもので、

人は何を考えているのかわからない。
優しそうな顔して近づいてくると
思ったら急変して自分の全てを奪って
いくんじゃないかとか


自分が何か変なのか・・・
皆そういうものなのか・・・

なかなか顕著には
ゲームとか、メディアとか色んなものが
あって向き合ったり認知できにくいですが、


近所にいる
のら猫とか他人事じゃなかったんだなと
思いました。


自分は
精神的にはのら猫みたいなことになってたん
だなって。


自分をオープンにして愛を与えるとか、
家族を持つとか・・・こ、怖すぎる。

これでいいとは思っていないですが。



親は当てにならない⇒創造的夢想家(妄想性)の適応
が主に実感として当てはまるなと感じています。


そして、すごく後先のことが予測不可能なことが
起こっても強迫的に備えようとしていたし、
時には出し抜かないと駄目になると思っていたし、


仕事や勉強に自分を強迫的に駆り立てる
ことで安全を確保してもいました。

才気ある懐疑者(スキソイド)、魅力的な操作者(反社会型)
責任ある仕事中毒者(強迫観念型)の要素も持ってますね。


自分が仲間はずれにされて、その人達が
楽しむ姿を見せることで自分に攻撃している
ことも多くて、街中を歩いたりしている
ときも全然関係ない集団にそう思っていたり
してもいたし。


人との繋がりで精神的に与えられるべきものが
十分には与えられてなかったので
なんとか妄想をすることで自分で自分に与える
しかなかったんだなと思います。


二十歳も過ぎた頃に、妄想を指摘されたけど、
今思うと、適応だったんだなと、過去の自分を
責める必要はないんだなと思います。


人の心は怖くて信用ならないってことなら
、この考えの上では、体目当てとかは
理にかなっているのかもしれないです。


金目当てとか、地位目当てとかもそうですね。


お金や地位が直接本性を現にして
襲ってくるようには
見えないですからね。



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