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反応をしてしまう 

反応をしてしまうです。


人の話すこと、行動
何から何までに目が
キョロキョロいって
批判をしている
自分がいます。

相手の言っていることを聞いていて、
今のは間違っている、正解じゃないとか
、他の人や子どもが楽しんでいるのを
見てイライラしてしまったり、幸せそうな
人を見て怒りが湧いてきたりすること
が多々あります。



根底にあるのは、なんでそれが許されるの?


自分が許されなかったんだから、
他の人もそうでないと・・・


という処理されなくて、溜まった、
歪んだ怒りが根底にあります。


理不尽な目にあった自分が許せないし、
不当な扱いを受けた自分をそのまま
見つめることは、自分を破滅させて
しまうんじゃないかという思い込み。


何か理由をつけて合理化しないと、
受け取らなくてはいけないものを
受け取ってしまうと思っているのでしょう。


たぶん禁止令。


これに直面してしまうと信じ込んで
しまっているんでしょうね。


思い込みと気づいても、すぐに怒りで
凍った心が溶けるわけでなく、時間は
必要です。


自分が何者かを振り返る、そして怒りは
怒りで安全な場所で表現する。




自分が幸せになるのもそうですが、
自分の気持ちを出して置くこと、
処理すること、怒りにさよならする
ことをしたい。


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交流分析とACの知識による癒しと勇気づけ:人生の再出発>>反応をしてしまう
              Copyright (C) 2010 Syunta, All rights reserved

コメント

はじめまして。

はじめまして。
dobonといいます。

気になった点があるので、質問させていただきます。

>自分が何者かを振り返る、そして怒りは
>怒りで安全な場所で表現する

「安全な場所」とは、たとえばどのような場所を示しているのでしょうか?


>自分が幸せになるのもそうですが、
>自分の気持ちを出して置くこと、
>処理すること、怒りにさよならすることをしたい

とありますが、
「怒りにさよならすることがしたい」
といっても、
人間の生存活動に「怒り」という感情が必要だから、
人間には「怒り」という感情があるのだと思います。私は。

その「怒り」から「さよなら」を「したい」ということは、
特定の感情を排した人間になりたいということなのでしょうか?
もしそうだったらおもしろいな、と思いました。

お答えいただけると幸いです。

Re: はじめまして。

dobonさん
コメントありがとうございます^^
僕が思っている範囲内でお答えします。

> >自分が何者かを振り返る、そして怒りは
> >怒りで安全な場所で表現する
>
> 「安全な場所」とは、たとえばどのような場所を示しているのでしょうか?


安全な場所についてですが、これは、
自分の思ったことを言ったときに、
頭ごなしに批判をされたり、アドバイス
をされたりしない場所のことです。


例えば、あの時殴られたのは絶対理不尽
だったと自分が言ったとします。


そしたらそれを聞いた周りの人に殴られたり、
「お前が悪いに決まってんだろ」と頭ごなしに
言われる場所は安全ではありません。


本音を言ったときに、ただ聞いてくれる場所。
言ったとしても批判とか説教が発生しない場所
というのが安全な場所です。


自分だけの部屋だったり、いいっぱなし
聞きっぱなしのグループなどが安全度が
高いです。


> >自分が幸せになるのもそうですが、
> >自分の気持ちを出して置くこと、
> >処理すること、怒りにさよならすることをしたい
>
> とありますが、
> 「怒りにさよならすることがしたい」
> といっても、
> 人間の生存活動に「怒り」という感情が必要だから、
> 人間には「怒り」という感情があるのだと思います。私は。
>
> その「怒り」から「さよなら」を「したい」ということは、
> 特定の感情を排した人間になりたいということなのでしょうか?
> もしそうだったらおもしろいな、と思いました。
>

この部分での「怒り」については、今ここでの
感情としての反応、自分の権利や存在を守る
ための怒りについて否定しているわけでは
ないです。


ここでさよならしたいという「怒り」
とは、過去の処理されなくて押さえ込んで
しまった怒りのことです。過去のトラウマ
が関係する「怒り」です。


普通の人だったら1ぐらいに感じる怒りが
トラウマによって、生存活動に必要な
怒り(1)+トラウマによる怒り(99)
が足されて100の怒りになってしまう
ようなそんな「怒り」です。


例えば、他の子どもが可愛がられて
いるのを見ると、過去に自分が
親に理不尽に罵倒されたとか、
同じような場面でこっぴどくしか
られた、でもそのとき泣くことも
できずに感情を押し込めてしまった
記憶に意識ないし無意識がリンクして
その過去の自分のときの感情も
体験されてしまうんですね。


そんな過去に縛られた、今の現実に
対して不適切に蘇ってくる「怒り」
にさよならをしたいんです。


怒りを排してしまったら、今まで僕が生きにくかったように
無感覚になってわけもわからないつらさに襲われます。

特定の感情をなるべく排して、無感覚で自分がわからない
人間になっていました。

おもしろいというかおもしろいかどうかも
わからないくらい感覚がマヒします。


今ある知識や体験を考えて出せる
答えはこのようなところです。

とても考えさせられる質問を
ありがとうございます。

>本音を言ったときに、ただ聞いてくれる場所。
>言ったとしても批判とか説教が発生しない場所
>というのが安全な場所です。

あくまで“他人”に自分の本音を聞いてもらうことが前提になっているのですね。
「ただ聞いてくれる相手」であれば、別にそれが人間でなくても構わない、とは思いませんか?
壁相手に話すこと、人間相手に話すこと、
相手に「ただ聞いてくれる」ことを望むのならば、
どちらでも同じであると私は思います。

しかし俊太さんの場合、その「相手」を「人間」だけに限定しているように見えます。
「相手は人間でなければならない」
という無意識的な前提は、俊太さんのおっしゃる「安全な場所」をどんどん減らしていくことになりませんか?
人間以外のものも含めたら、俊太さんのおっしゃる「安全な場所」の定義を持った場所はたくさんあると思いますよ?

となると、俊太さんは実際には「安全な場所」を求めているのではなく、「安全な人」を求めている、ということになります。
私はそう考えましたが、俊太さんはそのことについてどうお考えでしょう?

>自分だけの部屋だったり

この文章を見逃していました。
なるほど別に「人間相手」ではなくてもいいのですね。

しかしそれ抜きにしてもやはり、俊太さんの文章からは「安全な人を求めている」という印象を受けますね。
独り言です。

>>dobonさん

そうですね。今まで危険な人間関係が多かった分、
安全な人を求めるようになりましたね。


多分その心持ちが文章にも出たんですね^^

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